去年の春はことさらに桜が美しい春でした
コロナが一気に蔓延し
世の中は混とんとした不安の渦に巻き込まれつつあり
花見どころではない春でした
それでも
隠岐の桜は見事に咲き誇りました
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そんな中
見つけた1枚のサクラの写真
KenzouくんのSNSで見つけた桜です
柔らかな春の日差しを浴びて
島のどこかにぽつりと立つ満開の桜の木
凛とした空気感をまとって立つ
その桜の木の美しさに思わず目を奪われました
ちょうどその頃
来春のサクラだよりを目指して
息子は松江で一人暮らしを始めたばかり…
諸々の思いが
写真の中の桜の木に重なっていきました
来春こそ
こんなサクラだよりが息子にも届きますようにと願いつつ
その写真を見つめた、春の日の記憶
以来
この写真は私の「こころのおまもり」となりました
この写真は2度ほどblogにも使わせてもらったので
記憶されている方もいるかもしれませんね
同じように浪人生活を送る息子をもつ母友に
この桜を送ったことも…
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あれから1年
長いようで…
あっという間だったようで…
いろんな意味で「激動」だったこの1年
3月6日の朝
待ちわびたサクラだよりが息子にも届きました
家族みんなが
もちろん息子本人が一番
喜びと安堵の気持ちに満たされた
そんな朝でした
鍛えて頂いた先生方
隠岐を離れ、共にがんばった息子の仲間達
いつも気にかけ応援してくださった方々
本当にありがとうございました
この1年
私の気持ちに寄り添ってくれたこのサクラの木にも
お礼を伝えに行きたいと思う
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中村の元屋の山にひっそりと咲く「世間桜」
隠岐の島で一番「有名」な桜です
昨春はこの「世間桜」も満開でした
息子が隠岐を発つ、その前日
家族みんなで見たこの日のサクラ
家族みんなで撮ってもらったこの日のイチマイ
我が家のタカラモノです
昨年のblogより…『世間桜(よのなかざくら)2020』
おめでとうございます㊗️
大丈夫だと信じていても
やっぱり不安な時もあったでしょう
これで一安心ですね
今後は 二人の息子さんたちの
ご結婚 孫の誕生 ・・・ わくわくですね
私も 孫には メロメロです
掘江広人さま
昨年の合格発表の日の朝から1年。
同じように部屋から出てきた息子と対面し、
緊張しながら見つめたスマホの画面。
今年は全く違う景色がそこにありました。
嬉しいと思う気持ちと、安堵の思い。
この1年よくがんばったんだな、と、改めて思いました。
晴れて4月からは島大生になります。
私の大好きな松江の街。4年間の学生生活を謳歌してほしいです。
ふたりとも、結婚もぜひしてほしい 笑!!
掘江さん、ぜひいつか、お孫さんも一緒に遊びにいらしてくださ~い(^^♪
お孫さんにメロメロな掘江さんを見てみたいな~♪
…想像はできちゃいますけどね。帽子を買ってくださった時の嬉しそうな様子をふと思い浮かべてしまいました 笑…
おめでとう㊗️ございます。
何よりでした。
大変な一年でした。息子さんは想像以上のプレッシャーがあったのでは?とおもいます。
普通ではない1日を積み重ねて、良く頑張った!
米村さま
口から生まれたか?といつも言われていた、あの小さな息子が、
菜館さんでもずっとしゃべっていたあの息子が、
ついに大学生になります 笑
『普通ではない1日を積み重ねて』と書いてくださっていましたが
今改めて、しみじみそのことを思っています。
よくがんばりました。息子も、仲間たちも。
そして、がんばりきれるように、と、温かく見守り、応援し、鍛えてくださった先生や周りのみなさまに、感謝の気持ちでいっぱいです。
菜館さん、いつもそうして心寄せて頂き、応援していただき、
本当にありがとうございます。
ご子息様の合格を心からお慶び申し上げます、誠におめでとう御座います。一年間の苦節の賜物かと存じます。
長女が、川津のアパートで過ごした一年間が思い出されて、あの頃を懷かしんでおります。家主さんの軽トラ借りて、片付けの荷物を隠岐汽船の営業所まで運びました。宅配便が無かったようにおもいます。
昨今の受験事情は知る由もありませんが、「浪人」という言葉も死語になりつつ?と思ったりしております。
「サクラサク」は、私の時代、もう56年前?1964〜‥その頃の合格電報の決り文句でした。
上乃木の下宿先で、電報を受けた時の、安心感、喜びよりも、安心感、開放感でした。(浪人は経済的に無理でしたから)
当時は、個人情報のおおらかな時代でしたから、翌日の新聞には大学名や高校名、合格者の個人名が掲載されていました。
〜〜ともあれ、ご子息様の、愈々のご健康とご精励を心からお祈りします。
港町十三番地さま
思えば、コロナ禍元年のはじまりとともにスタートした息子の浪人生活。
息子が家から離れる寂しさにひたる間もなく
コロナが巻き起こす波に飲み込まれないように必死だったことを
今更ながらに思い返しています。
逆に…
そんな中で、海を渡ってすぐの地であるとは言いながら、
息子たち隠岐からの再チャレンジ組は、隠岐を、親元を離れてよくがんばったとも思います。
4月からは島大生になります。
私が暮らした思い出の地で、彼もまた大学生活を送るのだと思うと
なんだか嬉しい気持ちになります。
お嬢様も川津にお住まいだったのですね。
先日、息子の引っ越しで訪れましたが、川津もずいぶん変わっていました。
大学周辺、懐かしいアパートも点在する中、ほんとうにたくさんのアパートが建っていて驚きました。
浦島太郎の気分。
まあね、あれから30年だもんね、と…笑
いつも気にかけてくださりありがとうございます。
「サクラ咲く」!! ご本人を筆頭に ご本人を支え続けたご両親 ご親戚の方々・多くの関係者の方々の思いが 結実したのですね。感動の涙が溢れました!! 花粉でシパシパの目 の大掃除にもなりました。そしてひそかに貴方様に寄り添ってくれた「サクラ」の存在 これがまたいいですねえ。 写真の「世間桜」実に美しいです。「神々しい」です」。
これからも 前途に祥多かれ と願っています。
オケイさんさま
浪人生活のスタートはコロナ禍の中で始まりましたので
言葉では言い表せない複雑な思いと不安に包まれていた昨春でした。
そんな日々に、あのサクラの写真はそっと寄り添ってくれました。
「このサクラを、来年は、自分の目で見たい」と思い続けた1年。
あのサクラの木は、私の中で、息子のサクラだよりそのものだったのだと思います。
今年のサクラは少し早い。
見逃さないようにしたいと思っています。
息子へのあたたかなエールに感謝いたします。
ありがとうございました。