昨夜半、たたきつけるような雨の音に目が覚めました
いつもの雨の音とはボリュームが違う…
降り様の激しさが分かる音でした
でも
さして危険を感じるわけでもなく
そのまままた眠りにつきました
朝になって
やっぱり雨は激しく降り続けていたけれど
それでもやっぱり「いつもの雨」だと思っていました
それが…
サムライくんから電話があったのが9時半過ぎ
原田の川は溢れそうだ、八尾川はどうなっとる?と…
そこで初めて今何が起こっているのかが分かってきました
これは「いつもの雨」なんかじゃないかもしれない
「いつかの雨」と同じで恐ろしいことがおこるかもしれない
県西部を襲った58豪雨は
ちょうど県総体の真っただ中で発生しました
中3だった私は浜田市で被災
宿泊していた旅館も床上浸水の被害にあい
本当に恐ろしい思いをしました
旅館の前を流れていた川はみるまにその水位をあげ
私達が見ている前で駐車場の車を次々と押し流していきました
15年ほど前の夏の終わり
隠岐の島を激しい雨が遅いました
奇跡的に人災はなかったものの
あの日の雨も
崖を崩し
橋を壊し
道路を押し流しました
想定外だったあの日の雨
脅威でしかなかったあの日の川
人の力など全く及ばない …
「いつもの雨」と「いつもの川」が
こんなことになるなんて
大雨洪水警報に土砂災害警報
続々とSNSなどで目にする被害の状況に
いちいちおろおろするばかり
結果
私がしたことといえば
言われたとおりにお水を貯めたことくらい
(;・∀・)
そんな中
隠岐の雨はどうですか
ニュースでみたよ
ブンテンさんのお店はどう?
八尾川は大丈夫?
たくさんの方からご心配のメッセージやお電話を頂きました
あわあわと心ここにあらずだった私も
少しずつ島の状況をお伝えするその中で
いつしか落ち着きを取り戻していった気がします
全国のあちらこちらに
そうして隠岐を思ってくださる方がいらっしゃるんだなーということ…
それが本当に心にしみて有難かったです
15時現在、雨は小康状態となりました
まだ川の水は茶色いままだけれど
八尾川と川べりの家々は
ようやく静けさを取り戻しつつある
なんとかこのまま
どうかこのまま
落ち着いた空でありますようにと願うばかりです…
『海の家part2』中止のおしらせ
海の家part2 を
8日(土)9日(日)の両日で予定していました
とても楽しみにしていたイベントでしたが
諸事情を鑑みて今回は中止することといたします
とても残念ではありますが
またそのうちに
「おいしい」「たのしい」時間を
心から楽しんでいただけるそんなタイミングで
ご案内できたらと思います
どうぞよろしくお願いいたします
ニュースで見て、ビックリしました。
また、日帰りで顔でも出そうと思っていたのですが。
夜また降るみたいですね。
何事もない事を祈っています。
一昨年までお世話になった高田より
高田さん♪
全国ニュースのトップで報じられたのだそうですね
本当にあの日は一時どうなることかととても心配いたしました
カッパの祠横の入り口にシートで目張りし、川をながめすがめつし、、、
それでも奇跡的に雨の勢いが収まったことで、難を逃れました。
自然の驚異的な力の前に
人間の力や存在がいかにちっぽけなものであるのかを
痛感いたしました。
人的被害が無かったことが幸いでした。
少しずつですが、復旧も進んでいます。
いつも隠岐を思ってくださり嬉しいです。
またお会いできる日を楽しみにしています!
※春、松江を車で走っていたら、交差点で信号待ちをしていらっしゃった高田さんを発見しました。停められなかったのが残念!
ラジオで隠岐の豪雨が警報レベルと報じられるのを聞いて心配していました。貴ブログで詳しい状況が手に取るようにわかりました。人災がなかったのはさいわいでした。八尾川の河川改修前、我が家も2度水害の直撃を受けました。後片付けは過酷で体力も気力も失せているとき友人の炊き出しで生き帰ったなあ!! その後 50年(100年?)に一度の大水害でも安心 とのキャッチフレーズで八尾川の改修工事計画が本格化されました(国・県・町の予算)。
当時、水害の爪痕残る河川敷は手を付けずそのまま残すということでした。八尾川には昔から語り伝えられている河童伝説があります。人間と河童の情感あふれる伝説です。7月25日の夏祭りには子供たちの水難事故防止を祈願する伝統的な川祭りがあります。その昔はこの日を待って八尾川での水泳が解禁されたものです。
瓦礫の積まれた河川敷を放置したままの河川改修などありえない。歴史に残る河童伝説を生かし、観光にも寄与できるであろう河童公園の設置を当初計画に入れるべきだとの有志の強い気持ちが走り出しました。
八尾川河川敷に河童公園を設置する会を立ち上げ、会長に故宇野眞氏 副会長に故松本勝子氏(氏は河童伝説の専門家故松岡女史から教えをうけていました) 事務局を浅学非才の私が担当しました。署名のための趣意書づくり、署名集め、土木事務所への陳情・相談等々精力的に力を合わせて取り組みました。当時世間の冷たい視線がなかったとは言えない空気感も体験しましたが、多くの賛同者の励まし、実行力と馬力が運を招いたのか いやいや 河童の神様がほほ笑んだのでしょうか 実現にこぎつけたのです。
会長、副会長、松岡女史のご冥福を心よりお祈りします。
オケイさん♪
想いのこもったコメントをありがとうございます。
久しぶりの豪雨被害に見舞われました。
人の力をはるかに超えた自然の驚異。
自然との共存の在り方、地球上でこれから私達がどう暮らしていかねばならないか、
そうしたことにも思いを致した時間でした。
ただ、恐ろしい雨量に見舞われる中、
ダムにはぎりぎりまで水を留め置き、
新たな放水路から日本海へと、その水を流出し続けてくれました。
先人の思いと尽力のおかげでなされた治水事業のおかげです。
もう1時間雨が降り続けたら、それでもどうなっていたか分からない、
そのくらいの水でしたが、そうはならずに雨が収まりました…
そういえば。
地震も少なく、台風の被害も本当に少ない。
私達の暮らすこの島は、神に守られているのでしょうね。
お読みくださって感謝申し上げます。 水は人間にとってなくてはならない命のもとですが、時としてどうしようもないと思えるほど不法侵入の達人でもあります!(鍵かけたって 目張りしたって関係なしひたひたと音もなく・・・・です) 床上40センチ 50センチなんてあっという間ですから・・・。振り返ってみれば本当に人災がなくて救われましたねえ。
ところでお体には十分お気を付けくださいね。 私は25歳の時に(約半世紀以上前)半身麻酔で盲腸の手術をしました。術中に「膿がおなかに出ていているから腸をを引っ張り出して洗っている」という声が聞こえました。現在は回腹手術ではなく ロボット手術でしょうか? 術後の回復も早い? 医学の技術は日進月歩でしょうから。くれぐれもおだいじになさってください。
オケイさん♪
オケイさんも盲腸経験者なのですね。
現在は腹腔鏡手術。3か所?穴をあけて、ちょちょいのちょい、だそうです。
退院までの日数も数日単位だと聞きました。
ひざの手術の折は、私も下半身麻酔だったので、先生たちの会話を耳にしながら横たわっていました。
その内容と、骨を削る音や振動にビビってしまい眠らせてもらいましたけど…(;’∀’)
お医者様には敬意を表しますが、手術はできるだけしたくない。
悩みどころです。
もう若くはないのだということを肝に銘じ、我が体の声を聴きつつ日々暮らしたいと思っています。
ご心配くださり、ほんとうにありがとうございます。