歴史と、ミステリーと、ノンダクレと

先日、毎年この時期恒例のオシゴト旅に名古屋まで出かけました

毎年恒例の見本市
コロナ禍のために2年間はzoom開催でしたが
昨年からリアル開催に…
いろいろ課題はある業界事情ではありますが
見本市も、総会も、やっぱ「リアル」が一番です

そして
これまた恒例
オシゴト旅前後泊でのオトモダチとのノンダクレ行脚(?)は
コロナ禍に阻まれてなんと4年ぶり!?



長かったコロナ禍に思いを馳せながらの3泊4日
関西名古屋でのそれぞれの夜
なんとも感慨深く充実した時間を過ごしました

…要は楽しかったってこと…


・・・・・
あれこれと、いろいろと
驚いたことがたくさんあった今回の旅

ホテルのチェックアウトも空港での各種手続きも
非接触で、並ぶことなく、ちゃっちゃと完了

新幹線で充電できることは知ってたけど
こんなとこにコンセントがあるのはお初!!



完全なる「浦島太郎」状態…でした
(^-^;



・・・・・

京都駅には修学旅行生や外国の方がわんさか!
行き交う方々の顔を覆うマスクは本当に少なくなっていましたね



飛行機の乗務員さんもNOマスクでした
ここは日本?よその国?みたいな気分になった街角のバル
テーブル席を利用していたのは7割がた、海外の方…

この窓の向こう
道路の真ん中に立つおふたりは
雑誌かなにかの撮影をされていたようでした


かつての「日常」が戻りつつある京都の町
外国語も飛び交っていた…



・・・・・・

最終日に案内してもらった、京都の町探索

古くて新しい。
そんな京都の裏通りの空気感を堪能しました

町屋をうまく活用し
新たな「場所」として再生しているケースが多々。


ギャラリーだったり
バルだったり
ゲストハウスだったり


ほんとにいろいろです

古くて新しい町、京都。


時代を感じる看板もまだ現役で活躍中
感嘆のため息が、つい漏れる

でも
残念ながら私には「なに屋」さんなのか
読み取れなかった
(^-^;
「ゆ」の文字が伝える生業

ビバ銭湯!!

私が幼かった頃には大社の町にも銭湯がありましたね

西郷の町にももちろんあったそうです

今は「うち湯」があるのが当たり前で
銭湯は町から消えてしまいましたね

でも、大きな湯舟でゆったり入る湯は格別
銭湯ファンは未だに多い



温泉、というよりは
銭湯的な感覚で利用する方が多い隠岐温泉五箇も
なんとか残って欲しい場所のひとつ。

・・・・・・
空也上人建立と伝わる六波羅蜜寺にも案内してもらいました


厳かな空気感がたまりませんね


そこに立っているだけで
なんとなく心も清まった気がする
…気のせい?…


絵馬にお願いごとをしたためてお詣りしました

口から6人の小さな仏様が飛び出している
あの有名な空也上人の立像には、残念ながら会えず。

そうそう
空也上人の口元に並ぶ小さな仏様
空也上人が『南無阿弥陀仏』と唱えると
その音ひとつひとつが、仏様になったという伝説を
彫刻・具像化したものなのだそう


・・・・・
私の大好きな昔話のひとつ
「子育て幽霊」

あの昔話にまつわる飴屋さんにも連れていってもらいました



佇まいは至って普通の構えのお店の中に入ると
昔ながらのガラスのショーケースがひとつ。

潔いくらい、「飴」しかない…。

まさに飴屋さんです
時代を感じる看板には「京銘菓 子育飴」と…
ちょっとおどろおどろしい書体で「幽霊」と添えられています
昔々…ある飴屋に夜な夜な飴を買いにくる女がいた

いつも夜更けに買いに来る女性を不思議に思い
飴屋があとをつけてみると
その女性は一基のお墓にむかって姿を消す


怖ろしくなった飴屋はいったんは引き返すものの
あの女性のことが気になってしかたがない


翌日和尚を伴いそのお墓に向かってみれば
なんと土の中から赤子の泣き声が聞こえてくるではないか


掘り起したところ、身重で亡くなったと思われるかの女性が
赤ちゃんを産み落としていたのだ
我が子を案ずるあまり夜毎飴屋に出没し飴を求めては
赤子の口に含ませていたのだろう

と…
そういうあらすじのお話

全国各地に似た話はありますね
小泉八雲が記した「怪談~くゎいだん~」にも
『飴を買う女』として同様のお話があります

死してなお我が子を思う、母の強い思いと愛が
なんとも切なく、心に沁みるお話ですね

京都を訪れることがありましたら
話のネタに、ぜひ、おひとつ…


・・・・・・
ノンダクレ仲間が合流するまであと少し。

そんな時間に立ち寄ったのは『六道珍皇寺』…

案内してくれたOちゃんによりますと
中世の頃埋葬地であった六道珍皇寺の周辺は「六道の辻」と呼ばれ
他界(地獄)への入り口とされていたのだそう

しかも…

このお寺の裏庭には
「この世とあの世」の分岐点となる井戸、がある、と言う。

のぞいたら最後
腹黒の女は井戸の奥に引きずり込まれるかもしれないが
ここまで来たなら見てみたい!!

と、見る気マンマンではあったものの
残念ながら拝観時間は午後4時まで。


その扉は固く閉ざされておりました

…ホッ…

安心したような
残念であるような
複雑な気持ちを抱えつつ
お寺の前の案内看板を読み進めていくと…

何やら見覚えのある名前にいきあたりました

え?
ええ??

「小野篁公」って、あの「おののたかむら」さん!?


小野篁

なかなかやり手として伝わる歴史上の「有名人」小野篁ですが
隠岐では
天皇の怒りをかって流されてきた方
あるいは
「あご無し地蔵」を彫った方
と言ったほうがピンとくる方が多いのかも

隠岐に流されここで暮らしていた3年の間に
島の女性「阿古那(あこな)」と恋仲になったものの
罪をゆるされ帰京することになった篁。
その際「これを私と思って…」と自らが彫った仏像を阿古那に渡したと言われています
その像が都万目に伝わる「あご無し地蔵」だとも。

歌人としてもなかなかの才の持ち主だったのだそうで
彼が2年で天皇の許しを得ることができたのは
彼の詩才を天皇が恋しがったからという説もあるのだそうです

百人一首の中にも小野篁を読み手とする歌があります

わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕(こ)ぎ出でぬと
              人には告げよ 海人(あま)の釣り舟


「誰が詠んだか知らなかったけどこの歌は知ってる!!」という方はきっと多いはず
空港入口とか、某学校にかけられた額ぶちとか
隠岐ではいろんなところで目にしますね


ちょっと視点が隠岐寄りになっちゃいましたので
話を「京都」に戻しますね

こんなところで思いがけず「小野篁」と出会ってしまったせいか
とりあえずテンション爆あがりです

扉が閉まっていることが
急に残念におもえてきた我ら
…さっきまでちょっとホッとしてすらいたのに…

慌てて辺りを見回すと
くわっと目を見開いた像と『小野篁卿 旧跡』という文字が…

しかも、『閻魔王庁』って書いてあるし
それ、なんなの!?…みたいな。



この立て札によれば
小野篁は昼は天皇にお仕えし
夜はこのお寺の裏にあった井戸を通って冥界へ向かい
閻魔大王の補佐を務めたと言われていたのだそうで…

その井戸こそが
Oちゃん曰く「この世とあの世の分岐点」というわけでした

そうそう

小野篁がこの世に戻ってくるときは
また別の井戸を通って帰ってきたとされていて
その井戸の跡は嵯峨薬師寺と言うお寺にあったのだそうです
…現在はこの井戸跡はもう無いらしい…


頭脳明晰にして多才。
体躯もよく反骨精神も旺盛。

当時で188㎝あったというから、それはもう「大男」ですよね
なかなか弁が立つ方だったそうなので
畏れられているという一面もあったみたい

とても優秀な官吏だったそうですが
残る逸話は確かにいろいろあって
今の代でいうならば
アウトローなちょい悪おやじ風…という感じ?

そんな小野篁だからこそ
こんな伝説が生まれたんだろうな、とも。


とにもかくにも…

こんな場所で、こんな形で、偶然にも、
隠岐ゆかりの方の名前に出会うとは…と大興奮のひととき。

これまでに知らなかった
『小野篁』像も浮かび上がってきましたしね

今回の旅はたくさんの「びっくり」がありましたが
とりわけて心に残ったのが
この『小野篁との思いがけない出会い』、でした

ひと味もふた味も違った視点で、京都のおもしろさを満喫
ノンダクレ行脚の前の、ミステリーツアー!

Oちゃん、どうもありがとうね


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です